スクロールバー

Unhappy birthday構文

「Unhappy birthday構文」ってご存じですか?


社会的な幸福のテンプレート(構文)に疑問を持ち、
祝われるはずの誕生日すらも祝えない孤独や生きづらさ、
そしてそこからの脱却と自分なりの意味を見出す思考法


10年ほど前、誕生日に送ってもらったメッセージをスクショして、
コラージュして、「みんなありがとう!」とSNSに載せる人が多い時期がありました。
これがこの時主流だったのでなんとも思わずに受け入れていましたがふと思いました。

「誕生日だと主張しなければ何人が私の誕生日を覚えているのか?」

そして実際、前年までスクショをたくさん撮るほど来ていた
誕生日おめでとうの波は確か片手で数えられるほどしか
来ていなかったと記憶しています。
「誕生日を覚えている」ほどの関係の友人など
ほとんどいないという現実がそこにはありました。

ただこの事実自体を私は特になんとも思っていませんでした。
むしろこの時も連絡をくれていた友人たちは今でも必ず覚えてくれていて、
プレゼントも用意してくれている。
いい友人を持ったな♪くらいに思っていました。


ただここ数年は違いました。
年齢を重ねていくにつれて「この1年間の正しさ」を考えるようになっていました。
1年の重さが変わってきたということです。
1年間をかけるに値する成長をし、得るものを得られたのかを考えるわけです。

その答えは毎年同じで
「何も得るものはなかった、また何もせず1年が過ぎてしまった」の繰り返し。
それを繰り返すうちに毎年誕生日に対して嫌悪感が増していきました。


”また誕生日が来てしまった。
また何も進めない変われない1年を過ごしてしまった。
私は何者なのだろうか。いつになったらこのループを抜け出せるのか。
いつ?どうやって?”

自分の無力さを信じたくない私が思いついたのは
誕生日を「なんでもないただの1日だ」と思うことでした。
何もめでたくない、何も起きない。今日はいつもと同じ1日。
何も特別なんかではないのだと。


そんなときに楽曲リリースが発表されたのが
櫻坂46「Unhappy birthday構文」でした。

ハッピーなんかではない 願いもない
無理に作った笑顔はぎこちない
来年の今日も 僕は変わらぬままでいるのか?
庇(かば)い合い 許し合い 傷舐め合ったりしてるうちに
人生は終わっているんだ

この楽曲はだいぶ歌詞も攻めているので賛否両論がありました。
ただ私は「こう思っているのは私だけではなかったのだ」
と思ったと同時に歌詞の最後に答えを見つけました。

Unhappy birthday to me.
バースデイソングを歌うな
クラッカーなんか鳴らすな
もしも自分の意思で
生まれ変われるんなら
僕は僕に言いたい

Happy birthday to me.


by 誕生日の話をしていますが誕生日は9月の山寺☻