あの日、私は教室にいた。
いつものように中学校へ登校し、
いつものように5校時の理科の授業を受けていた。
その時は突然やってきた。
男子の「なんか揺れてね?」という言葉を皮切りに
「あれ、揺れてるね」「めっちゃ揺れてない?」
と、ざわめく教室。
軽度の難聴のある理科の先生は
揺れとざわめきに気づかずに授業が進行している。
「先生、揺れてる!揺れてるよ!」
「え?揺れてる?じゃあドアをあけないと。」
理科の先生だけに、冷静にヘルメットをかぶり
生徒にこういうときの対応を説明していた。
揺れは次第に強くなっていく。
私達は訓練の通りに机の下にもぐった。
感じたことのない揺れに、ただ机の脚にしがみつく。
頭の中で「富士山噴火」という5文字が駆け巡る。
家は大丈夫だろうか?火山灰は?
父や母、弟には今後無事に会えるだろうか?
そんな心配をしていると揺れは次第に収まっていった。
教室は騒然としていた。
しばらくすると校内放送で、東北で地震があったと告げられた。
ひとまず、安心。富士山ではなかった。
その日の掃除はなくなり、すぐに下校となった。
私は家に帰るとテレビとパソコンをつけた。
テレビに映っていたのは押し寄せる波、流される家。
実感が湧かない。これは日本で起きていることなのか?
私はテレビをずっと眺め続けていた。
のちにこれが「東日本大震災」と名付けられる。
人間はすぐに忘れてしまう。
忘れないために情報をアップデートしていかなければならない。
震災も、このコロナ禍も、
いつまでも記憶に留めていくために、
いちど立ち止まって、振り返ってみた。
長くて申し訳ありません。
皆さんも一度あの日の事、振り返ってみませんか?
営業部 山寺理央